日本における「障害者の歴史」を知ると見えてくることがあります②

「障害者の歴史①」はちょっと文章が長く、ちょっと堅苦しと感じたかもしれませんね。
しかし「障害者の歴史②」も引き続き、ちょっと堅苦しく感じるかもしれませんが、
日本における潜在的にある「障害者観」というのが見えてくると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明治維新を経て封建社会の時代が終わると、日本は近代社会への道を歩みはじめますが、それは同時に、商品の生産を第一とする資本主義体制へと進んでいくことでもありました。そこでは、多くの障害者は「働けない者」つまり「社会に役立たない者」とみなされ、家族の中で暮らすか、生活に困窮している場合にのみ行政的な援助が差しのべられるといった状況でした。
また、明治以降積極的に押し進められた教育政策においても、ほとんどの障害児は「廃人学校が相当」とされ、健常児とはほど遠い処遇を余儀なくされていました。

確かに、欧米の影響で、視覚障害児や聴覚障害児専門の盲学校・ろう学校もつくられたりしましたが、そこでは働く技術を身につけることに重点が置かれるなど、家族や社会の負担にならない障害者のみを社会に受け入れるという価値観に立脚したものでした。

また、日本の近代化は戦争を抜きに語ることはできません。戦争は障害者を真っ先に否定するものでした。
第二次大戦中のナチスドイツによる安楽死に名を借りた障害者の大量抹殺はよく知られています。
日本でも太平洋戦争中には、障害者に自殺用の薬が渡されたと.いわれています。一人前の兵士となれない障害者は「国の役にたたない存在」「社会に不必要な存在」とみなされていたのです。

このように障が者は、いままで健常者側の価値観の中で埋もれ、押し流されながら暮らすことを余儀なくされてきました。しかし、その差別と排除の中で障害者が生きてきたことは動かしえない事実です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

目に見える成果や生産性のない障害者は、過去の中で「役にたたない存在」「できない存在」として位置づけられていました。
目に見える成果や生産性のない人は「できない存在」である考えは現代もあります。
それは障害者だけではなく、ひここもり、ニート等、社会適応できない人たちの問題でもあります。

そのような過去、現代を問い直し新たな社会をつくっていきたい、
そんな思いを抱き「ハッピーチョイス」は活動を続けています。              
                                                    ※参考:心の福祉

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter で一般社団法人ハッピーチョイス。障がい者と共につくる自然派日本酒をフォローしよう!