日本における「障害者の歴史」を知ると見えてくることがあります①

障害者支援を行ううえで、日本における障害者に対する歴史を知ることは、とても大切です。
障害者に対する健常者の潜在的な考え方もわかってきます。
そして、それを変えていく糸口にもなります。

ちょっと長文になってしまうので2回に分けてお伝えします。
障害児者に関わる方は「障害者の歴史」を知ってください。

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障害者が日本の歴史の中でどのように扱われてきたのかについては、障害者関係の史料が少ないこともあって、まだまだ不明な点が多いのが現状です。
しかし、いままでの考古学の資料や文献史科の研究を通して、障害者の、歴史はある程度明らかになってきています。
たとえば、縄文時代後半の遺跡からは、生前に障害をもっていたと考えられる人の骨がいくつか発見されています。それらは、はるかな縄文時代でも障害者が確かに生き、普通の人々と国じように埋葬されたことを物語っています。

やがて、奈良時代の中央集権的な国家支配の時期を迎えると、今度は中国からとり入れた「律令」という法律による障害者政策が登場します。それによると、障害者は障害の状況によって「篤疾」(とくしつ)(重度)、「癈疾」(はいしつ)(中度)、「残疾」(ざんしつ)(軽度)の三つに区分され、その等級に応じて租税や労役が減免されたり、罪を犯した場合には刑が軽くされるなど、保護的な扱いを受けることになっていました。また、 重度の篤疾には介護者をつけ、その介護者には租税や労役の一部を免除するとい
った規定もありました。しかし、平安時代になって律令による国家運常の形が崩れてくると、それらの障害者政策も実施されなくなってしまいます。

そのような国家による障害者保護の政策が行われると国時に、障害者を「罪の報い」とする観念も広がっていきました。

奈良時代の「古事記』という、歴史書には、イザナギ(男神)・イザナミ(女神)という2人の榊による国づくりの神話が
あります。そこでは、女神のイザナミが、女性の方から先に口をきいてはいけないというタブーを破ったために「ヒルコ」という障害児が生まれ、川に流されたとなっています。

また、半安時代初弧の『日本霊異記』という仏教説語集には、母親が前世に借金を返済しなかったために貸し主が現世に障害児となって生まれ、その母親に苦しみを与える話など、「因果応報」の思想で描いた説話が多く載せられています。今日からすれば迷信としかいいようのない、こういった考え方が、とくに仏教思想の中で広まっていったことは、後の障害者観を規定する大きな要因として見過ごすことはできません。

このような迷信が強まる一方、仏教の教えを狙う僧侶によって果敢な慈善活動が展開されたのも事実です。なかでも鎌倉時代に活躍した律宗の叡尊や思惟といった僧が、当時人々から忌み嫌われていたハンセン病(癩病)患者の収容施設を建てたことはよく知られていますし、また、時宗の一遍という僧を中心として諸国を行脚した集団の中にも障害者の姿が少なからず見られました。もちろん、これらの活動にも歴史的な限界があったことは否定できません。

こうした根拠のない迷信や限られた慈善活動が展開された中世から近世の社会にあって、一部の障害者、とくに視覚障害者たちの活躍にはめざましいものがありました。彼らの中には楽器(琵琶や三味線)を演奏したり、針や按摩といった医療技術を身につけ、自らの生きる場を開拓していった人々が多かったからです。

とりわけ平安時代の中頃から軍記物(『平家物語』をはじめとする戦記文学)などを語りながら仏事や貴族の遊興の場で活躍した「琵琶法師」の存在はよく知られ、彼らはやがて、その力量と活動力を基盤に「当道座」という職能集団を形成します。

そして江戸時代になると、当道座は幕府から独自の支配権(仲間の処分権など)が認められるまでになっていきます。しかし、その当道座には厳然とした身分や階層の序列があり、当時の身分制社会が大きく影をおとしていました。 ※参考「心の福祉」
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次回は明治維新から続きます。
国によって宗教の違いで障害者に対する考えが違ってきます。
それは現代でも障害者の地位的な位置づけは続いていると思います。

このように、たまには難しい情報もお伝えしていきますね。

 

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